「別人になる」  01.08.26  サムエル上10:1〜13、コリントU5:17   

 イスラエルの初代の王になったサウルは、思いもよらない変化を体験し、新しく創造された人です。
サウルは、神の示しを受けたサムエルによって、王さまに任命されます。最初、サウルは驚きました。
 自分に対する自分自身の見方(小さな部族の名もなき者)と、神さまからの見方(初代の王に任命すべき者)とは
ずいぶん違います。神さまの見方に従っていく時に、人は新たに、真の自分として歩み出します。
 自分の見方で自分を見、自分の好きなように判断して進むところには混乱があります。
「自分の」というのは、「罪を抱えている自分の」見方、判断でしかないからです。神さまの見方を問い、
それを重んじて進むことは、毎日の生活の中にも大きな変化を生み出します。
たとえそれが、人の目には小さな変化にしか見えなくても、生きることの根本からの変化となります。

 サウルは、神の霊を受けて別人になります。神の霊は、人をそれまでとは全く別の、新しいものにします。
サウルは、誠実に、一生懸命生きていました。しかしその責任を果たせず、行き詰まっていました。
自分につまずき、自分を責め、嘆くしかできない者でした。

 聖書の「別人」という言葉は、「滅ぼす」と訳されることもあります。神の霊は、それまでの力不足、弱さ、
失敗を滅ぼし、それらを無かったものにしてしまい、人を別人にし、新しく生きるものとしてくれます。
 残念なことに、この後サウルは王となってから、神に背き、罪が深まり、神の霊を受けられなくなっていきます。

 しかし、主イエスは私たちの背きを取り除き、義としてくださいます。主イエスが私たちと共におられるのは、
神の霊を私たちから離れさせず、とどめるためです。愚かさを抱える私たちでも、毎週の礼拝で主イエスによって
義とされ、神の霊を注がれて、もう一度歩み出せます。

 
 <キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、
新しいものが生じた>(コリントU5:17)と語りかけられています。